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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)9599号 判決

原告

藤原桂子

右訴訟代理人弁護士

矢島正孝

富﨑正人

被告

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

本多重夫

外五名

主文

一  被告は原告に対し、金七九万八六七三円及び内金七二万八六七三円に対する昭和六〇年四月六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金四〇〇万七七〇四円及び内金三六四万三三六八円に対する昭和六〇年四月六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、労働基準監督署長が、労災保険給付金額についての弁護士法二三条の二第二項による照会に対し、誤って、過大な給付金額を回答したため、原告の別件訴訟における請求の一部が棄却されたとして、国家賠償法に基づき損害賠償を請求した事案である。

一前提となる事実関係

1  (原告の夫の交通事故死による損害賠償請求)

(一) 原告の夫藤原冨太郎(以下「冨太郎」という。)は、昭和六〇年四月五日、田仲弘志が運転していた株式会社いわれ所有の大型特殊貨物自動車で轢過され、頭蓋骨陥没骨折・脳挫傷等の傷害を負った。(争いがない。)

(二) 冨太郎は、田仲弘志及び株式会社いわれ(以下「別件被告ら」という。)に対し、昭和六一年六月一九日、右交通事故による損害について、不法行為による損害賠償請求訴訟を提起した。(大阪地方裁判所昭和六一年(ワ)第五三二七号事件、以下「別件訴訟」という。)(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

(三) 冨太郎は、同年九月六日死亡し、冨太郎の妻である原告、並びに、子の藤原和幸及び藤原弘志が右損害賠償請求権を相続するとともに、別件訴訟を承継した。(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

(四) 原告は、別件訴訟において、冨太郎の損害(治療費、入院雑費、付添費、休業損害、逸失利益、慰謝料)についての損害賠償請求債権のうちの原告の法定相続分と、原告固有の損害(葬儀費用及び墓碑建設費用、慰謝料、弁護士費用)の損害額の合計額の支払を求めた。(〈書証番号略〉)

2  (労働基準監督署長の誤回答)

(一) 別件被告らの訴訟代理人は、平成元年八月三一日、別件訴訟において、原告らに対する損害填補の事実を立証する目的で、弁護士法二三条の二第一項前段に基づき、大阪弁護士会に対し、阿倍野労働基準監督署(以下「阿倍野労基署」という。)が冨太郎の受傷に関して給付した労災保険金の給付の種類、給付額、給付した相手方、給付期間、給付額の算定方法(根拠)等につき阿倍野労基署に照合して報告を求めて欲しい旨申し出た。そこで、同弁護士会長は、同日、同条二項により、阿倍野労基署に対する右照会を発した。なお、右照会書には、別件訴訟の当事者、事件名及び照会申出の理由として「原告らに対する損害填補の事実を立証するため」との記載がなされていた。(〈書証番号略〉)

(二) 阿倍野労働基準監督署長(以下「阿倍野労基署長」という。)は、大阪弁護士会に対し、平成元年一〇月一三日、同日付の書面で、右照会事項について左記内容の回答(以下「本件回答」という。)をした。(〈書証番号略〉)

現在までの労災保険給付金

(1) 休業特別支給金

昭和六〇年四月八日〜昭和六一年一月二〇日

五三万三三七六円

(給付基礎日額×20/100)×給付日数

藤原冨太郎へ支給

(2) 障害特別支給金

一七九万円

障害六級定額

藤原桂子へ支給

(3) 未支給の障害特別年金

二万一五八三円

障害特別年金額×1/12

藤原桂子へ支給

(4) 障害補償年金差額一時金

六〇八万五一三二円

給付基礎日額×670日−損賠調整累計額

藤原桂子へ支給

(5) 障害補償特別年金差額一時金

一〇九万〇六一七円

算定基礎日額×670日−未支給障害特別年金

藤原桂子へ支給

(三) ところが、本件回答中、(4)項に記載された障害補償年金差額一時金の金額六〇八万五一三二円は誤りであり、実際に原告に支給された障害補償年金差額一時金の額は二三四万五五四〇円であった。(争いがない。)

3  (別件訴訟における本件回答の取扱)

(一) 別件被告らは、本件回答に基づき、冨太郎に対しては、休業特別支給金として五三万三三七六円、障害特別支給金として一七九万円、障害特別年金として二万一五八三円、障害補償年金差額一時金として六〇八万五一三二円、障害補償特別年金差額一時金として一〇九万〇六一七円がそれぞれ支給された旨主張するとともに、損益相殺の抗弁として、右各労災給付金を損害額から控除すべきである旨主張し、かつ、本件回答を記載した阿倍野労基署長作成にかかる書面を書証として提出した。(〈書証番号略〉)

(二) 別件訴訟における受訴裁判所は、その判決において、別件被告らの責任原因を認め、損害額について、原告の固有の損害と冨太郎の損害のうちの原告の法定相続分との合計額を五九八万八九〇八円と認定した。さらに、同裁判所は、損益相殺の抗弁について、別件被告らが主張する各労災保険給付金の支給が行われた事実を、当事者間に争いがないものとして、これをそのまま判決の基礎とした。そして、休業特別給付金、障害特別支給金、障害特別年金、障害補償特別年金差額一時金については、労働福祉事業の一環として、労働者の福祉の増進を図るために支給されるもので、損害填補のためではないから、損害賠償額から控除すべきものには当たらないとしながらも、障害補償年金差額一時金六〇八万五一三二円については前記損害額の補填分として、その全額が充当されたことになるとして、結局、原告の損害賠償請求権の残額は存しない旨判断し、平成三年一月一七日、原告の請求分についてはこれを棄却する旨の判決(以下「別件判決」という。)を言い渡したところ、同判決は同月三一日確定した。(〈書証番号略〉、証人矢島正孝)

二争点

1  原告の主張

(一) (原告の損害及びこれによる本訴請求)

原告は、本訴請求として、阿倍野労基署長が真実の給付額を回答していたならば、別件判決における損益相殺は、原告の固有の損害及び冨太郎の損害のうちの原告の法定相続分との合計額として認定された五九八万八九〇八円から、真実の前記給付額二三四万五五四〇円を控除することになったところであるから、その残額三六四万三三六八円が原告の損害であるとして、同金額及びこれに対する別件被告らの不法行為の日の翌日である昭和六〇年四月六日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) (被告の責任原因)

弁護士法二三条の二第二項に基づく照会(以下「二三条照会」という。)は、裁判の公正を期するために、法が特に認めた制度であり、これに対する回答は、一般的に、高い証拠価値を有するものと評価されている。したがって、公務所として二三条照会を受けた場合には、誠実かつ慎重に対処し、誤った回答をしないよう注意すべき義務がある。そして、本件回答は、阿倍野労基署の所管する事務に関するもので、基礎となる資料も自らの管理下にあったのであるから、阿倍野労基署長としては、わずかな注意を払えば、容易に正しい回答をなし得たにもかかわらず、右注意義務を尽くさず、漫然と、誤った回答をなした過失が明らかである。

2  被告の主張

(一) (侵害行為性及び違法性について)

損益相殺は、損害賠償請求権者が現実に取得した他の利益を損害額から控除すべきものである。ところで、本件回答が結果的には後者の利益に関するものではあっても、右回答の時点では、照会者である大阪弁護士会に対してなされた事実の報告に過ぎず、それ自体で右控除金額が決定され得る性質のものではない。したがって、本件回答は、原告の権利に対する侵害行為ではないうえ、違法性もない。

(二) (因果関係について)

(1) (自白)

別件判決において、原告が障害補償年金差額一時金として六〇八万五一三二円を受領したとの事実が判決の基礎とされたのは、損益相殺の前提として、冨太郎に対する労災保険給付額が別件被告らが書証として提出した本件回答書を証拠資料として認定された結果ではなく、原告が別件被告らの主張した本件回答による金額を認め、これを自白したためであるから、本件回答と原告主張の損害との間に因果関係はない。

(2) (別件判決における法律判断の誤り)

ア 労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)一二条の四第二項は、労災保険受給権者が既に損害賠償を受けたときは、これと「同一の事由」による価額の限度において政府の保険給付義務を免れさせるものと定めている。そして、この「同一の事由」の関係にある場合とは、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいう。ところで、労災保険給付のうち、民事上の損害と同一の事由の関係にあることを肯定することができるのは、財産的損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)に限定される。したがって、損益相殺の可否の判断においては、民事損害賠償額のうちの慰謝料及び積極損害から労災保険給付分を控除すべきではない。(最高裁判所昭和六二年七月一〇日第二小法廷判決・民集四一巻五号一二〇二頁)

イ そこで、別件訴訟における右理論の採否を論じれば、障害補償年金差額一時金(労働基準法七七条、労災保険法一五条)は、消極損害(逸失利益)と同性質の損害を填補するものとして、その給付に伴って、民事上の消極損害の減縮が認められるべきではあるが、精神的損害や積極損害(治療費、入院雑費、付添看護費)との間では「同一の事由」の関係にあるとは認められず、その給付をもって右損害を填補したものということはできない。

ウ そうすると、障害補償年金差額一時金との関係で損益相殺が許されるのは、冨太郎の損害のうち、後遺障害による逸失利益中の原告の法定相続分に相当する三六万二九九一円についてのみである。そうすると、控除は三六万二九九一円の限度にとどまるべきであり、真実の支給額全額が控除された場合よりも多額の認容額についての判決がなされるべきであった。すなわち、理論的には、本件回答における金額の多寡が損益相殺における控除可能額に影響を及ぼすことはあり得ない事例になるところであった。

したがって、本件回答と原告主張の損害との間に因果関係はない。

(3) (控訴の断念)

原告は、遅くとも別件判決が言い渡された時点では、本件回答中の障害補償年金差額一時金の額が誤りであることを認識していたから、この点を不服として控訴することが可能であった。にもかかわらず、原告が別件判決に対する控訴を断念したため、別件判決が確定した。したがって、原告主張の損害は原告の自由意思による権利放棄としての控訴権不行使が介在した結果、発生したものであり、本件回答との間に相当因果関係はない。

(三) 過失相殺

別件訴訟における原告の損害賠償請求が判決で棄却されたこと、及び同判決が確定したことについては、いずれも原告の責任によるものというほかはないが、少なくとも前記自白と控訴の断念が原告の過失として、本件訴訟における原告の損害算定において考慮されるべきである。

3  (中心争点)

当事者間の前記各主張によれば、本件における中心争点は、次の三点である。

(一) 本件回答による権利侵害の成否

(二) 本件回答と原告主張の損害との間の因果関係の有無

(三) 損害額と過失相殺

第三争点に対する判断

一争点1の権利侵害の成否について

1  労働基準監督署は、労働基準法、労災保険法等に定める事務を担当する公務所であり(労働基準法九七条、労働省設置法八条)、労働基準監督署長は、都道府県労働基準局長の指揮監督を受けて、労災保険給付に関する事務等を行う(労災保険法施行規則一条二項)。

2  ところで、弁護士法二三条の二によれば、弁護士は、受任している事件について所属弁護士会に対し公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることを申し出ることができ、弁護士会は右の申し出に基づき公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。右規定の趣旨は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする(弁護士法第一条)弁護士の職務の公的性格の特殊性に鑑み、弁護士の右使命の遂行を容易ならしめることを目的としたものであって、照会を受けた公務所又は公私の団体は、右の公共的利益のため、弁護士会に対して協力し、原則としてその照会の趣旨に応じた報告をなす義務を負うと解すべきである。

そして、特に、公務所がその取り扱う事務について二三条照会を受けて、これに対する回答を行う場合には、一般私人の場合と異なり、公益のため行動すべき公的機関として(国家公務員法九六条一項)、司法事務に協力し、訴訟における真実発見に資するよう協力すべき立場にあること、及び公務員はその担当する公務についての専門家であり、当該公務の遂行の正確性に対する一般の信頼を保護すべきであることから、職務上の法的義務として、照会に対する正確な回答をなすべき注意義務を負い、これに違反した場合には国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けるものと解するのが相当である。

3  これを本件についてみるに、別件訴訟において行われた照会は、阿倍野労基署の所管する労災保険給付に関するものであり、阿倍野労基署長は、その管理にかかる資料を調査することにより、正確な回答をなしえたにもかかわらず、前記のような誤回答をなしたものであるから、前記注意義務に違反した過失があり、違法性が認められる。

4  被告は、本件回答が原告に対する権利侵害行為ではない旨主張するけれども、前記判示事実によれば、本件回答のための大阪弁護士会の照会書において、同照会の理由として、冨太郎に対する労災保険給付が原告らによる損害賠償請求訴訟における「原告らに対する損害填補の事実を立証するため」に必要である旨が明記されていたことが明らかであるから、これに対する回答内容が、訴訟手続を介するものではあっても、原告の損害賠償請求権の帰すうに強い影響をもたらすものであることは、十分に認識可能であったといえる。そして、本件回答における過誤が、原告に対する右損害賠償請求の全部棄却判決の確定によって、現実化するまでには、受訴裁判所並びに原告及びその訴訟代理人らの訴訟行為が介在したことが認められるものの、これらはいずれも本件回答の存在を前提にして、多大な影響下になされたものであるから、本件回答がなされた時点において、既に原告に対する権利侵害の蓋然性を有していたものと認めるのが相当であり、照会者が原告自身ではないことを考慮しても、なお回答時点において、既に不法行為が成立したものと認定することを妨げる事情はない。

二争点2の因果関係の有無について

1  (本件回答の影響等についての事実認定)

証拠(〈書証番号略〉、証人矢島正孝、原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) (原告に対する労災保険金の給付とその通知)

阿倍野労基署は、原告に対し、昭和六一年一一月二〇日に休業特別支給金として五三万三三七六円、昭和六二年七月三〇日に障害特別支給金として一七九万円、同年一一月一九日に未支給の障害特別年金として二万一五八三円、障害補償年金差額一時金として二三四万五五四〇円、障害補償特別年金差額一時金として一〇九万〇六一七円を、原告名義の銀行預金口座に振込送金して支給した。そして、阿倍野労基署長から原告に対し、右各振込日付の書面で(但し、休業特別支給金については支給決定・振込通知、障害特別支給金及び未支給の障害特別年金についてはそれぞれ国庫金振込通知書、障害補償年金差額一時金及び障害補償特別年金差額一時金についてはその合計額について、一通の国庫金振込通知書による。)、通知を行った。さらに、右四通の通知のあと、原告に対し、労災保険給付としては以上である旨の連絡がなされた。

(二) (別件訴訟の経過)

別件被告らは、本件回答に基づき、損益相殺として、労災保険給付金が損害額から控除されるべきであるとの主張をした。原告は、被告主張の障害補償年金差額一時金の額について、自己の記憶に照らして、実際に受領した金額と異なるのではないかという疑問を持ったので、原告の訴訟代理人(以下「原告代理人」という。)に相談し、その指示に従って労災保険金の給付の通知に関する資料を確認した。しかし、前記の四通の書面のほかには、関係資料が見当たらなかったので、その旨原告代理人に報告した。そこで、原告代理人は、別件訴訟において、別件被告の損益相殺の主張に対する認否として、労災補償保険から、障害特別支給金として計二八八万六一七円、休業特別支給金として五三万三三七六円の支給を受けたことを認めたうえで、右各給付はいずれも労働福祉行政上の生活扶助の観点から給付されたもので、損害の填補を目的としたものではないから、損益相殺の対象にならない旨主張し、その余の給付については、受領の事実についての認否を留保し、損益相殺の対象となるか否かについての法的主張もしなかった。

(三) (別件判決言渡後の経過)

ところが、平成三年一月一七日に言渡された別件判決では、前記のとおりの判断をして、原告の請求を棄却した。そこで、原告の訴訟代理人は同月二二日、原告に対し、判決正本の写しを交付するとともに、判決の内容について、労災保険給付に関する損益相殺の結果、請求が棄却されたが、不満があれば控訴しなければならない旨説明し、労災保険給付の通知について再度確認するよう指示した。これに対し、原告は、控訴するか否かについては息子達と相談する旨述べて、確定的な回答をしなかった。そして、原告は、右訴訟代理人に対し、同月三〇日ころ、労災保険給付の通知について再確認した結果、前記四通の書面のほかに通知は受けていないこと、原告の記憶としても、右各書面に記載された金額以上には受給していないことを連絡したものの、その後両者間の連絡がつかないまま、別件訴訟の控訴期限である同月三一日が経過した。

そして、原告は、同月二月一日、労災保険給付の振込を受けた銀行口座の通帳を持参して阿倍野労基署に赴き、原告に対する労災保険給付の金額について確認を求めた。そこで、阿倍野労基署の担当者がこれについて調査したところ、本件回答が誤りであったことが判明した。そこで、原告は、訴訟代理人に対し、右事情について連絡し、右訴訟代理人が、同日、別件訴訟の受訴裁判所に対して弁論再開の申立を行ったが、何らの応答もなされなかった。

2  右認定事実を踏まえて、以下、阿倍野労基署長の前記過失行為と、別件判決の確定との間に、国家賠償法一条の規定する因果関係が認められるか否かについて検討する。

(一) (予見可能性)

まず、本件回答のための照会依頼の申出の理由として、別件訴訟において原告らに対する損害填補の事実を立証するため、という目的が明記されていたのであるから、阿倍野労基署長としては、右照会に対する回答が、原告の損害賠償請求債権についての損益相殺に関して、基本的な証拠資料として用いられ、かつ、別件訴訟における当事者の訴訟行為のための重要な資料とされることが予見可能な事情にあったと認められる。そうすると、かかる事情のもとでは、労災保険法三条の趣旨に照らしても、本件回答内容に副う事実が判決の基礎とされ、損害が補填されたものとしてその賠償請求が棄却されるという判決結果の発生も予見可能であったというべきである。

(二) (自白の存否について)

原告の自白については、前記認定のとおり、別件判決では、原告が障害補償年金差額一時金の受給額について認否を留保したにもかかわらず、これを当事者間に争いのない事実として判決の基礎としたことが認められるに止まるところである(右認定に反する〈書証番号略〉の口頭弁論調書の記載は、証人矢島正孝の証言に照らし、採用できない。)。

したがって、右自白の存在を前提にする被告の主張は採用しない。

(三) (別件判決について)

次に、別件判決による因果関係への影響の有無について検討する。

(1) 労災保険給付と民事損害賠償との関係について、労働基準法八四条二項、労災保険法一二条の四、六七条に規定されている「同一の事由」の意義は、労災保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と民事上の損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解すべきであり、消極損害についての労災保険給付は、民事上の損害賠償の際に、そのうちの精神的損害及び積極損害を控除の対象にしないとするのが最高裁判所の判例である。

(2) ところで、証拠(〈書証番号略〉)によれば、別件判決は、冨太郎自身の損害として、治療費一四五万六八四四円、入院雑費九万四八〇〇円、入院付添費三五万五五〇〇円、休業損害三一一万一〇七三円、後遺障害による逸失利益七二万五九八二円、死亡による逸失利益二七三九万三二九一円、死亡までの慰謝料二〇〇万円、死亡慰謝料六〇〇万円を、原告固有の損害として、葬儀費用四〇万円、慰謝料五〇〇万円をそれぞれ認定したうえで、冨太郎の死亡による逸失利益及び死亡慰謝料並びに原告の葬儀費用及び慰謝料について、寄与度により五〇パーセントの減額を施し、さらに、右損害額から、過失相殺として二〇パーセントを減じたこと、そして、冨太郎の過失相殺後の損害額から自賠責保険等の給付合計額一一八九万四八五九円を控除し、残額七六五万七八一六円のうち原告の法定相続分と、前記の原告固有の損害(二一六万円)の合計額五九八万八九〇八円を、全額損益相殺の対象として、結局、障害補償年金差額一時金六〇八万五一三二円の支払により、原告の損害賠償請求権の残額は存しないものと判断したことが認められる。

そうすると、別件判決では、治療費、入院雑費、入院付添費、葬儀費用の各積極損害及び精神的損害(慰謝料)との関係でも控除したため、最高裁判所の前記判例とその立場を異にするものであることが明らかである。

(3) しかしながら、労災保険給付を控除する前の原告の損害額として、別件判決で認定された金額は五九八万八九〇九円であるから、阿倍野労基署長の前記過失行為がなければ、労災保険給付による填補の客観的範囲について別件判決の前記見解に立って、真の給付額である二三四万五五四〇円を、消極損害のみならず、積極損害及び精神的損害から控除しても、なお、原告の請求棄却という結果は生じなかったことは明らかである。

(4) そして、損益相殺における法的判断として、別件判決における処理がその控訴審等で是正される余地があったとはいえ、原告に対する不法行為を構成すべき違法性を帯有するものであるとまではいえず、法律見解についての相違に過ぎないところである。したがって、最高裁判所の判例に異なる別件判決の右法律判断が混入したとはいえ、これが阿倍野労基署長の前記過失行為と右結果との間の因果関係の存否について、どの程度の影響を及ぼしたかの点を検討してみるに、右判決が原告の損害についての直近の原因ではあるものの、その前段において、本件回答における過誤が存し、これがなければ、別件判決の内容も妥当性を有することができたといえるので、これらを通じて勘案すれば、なお、本件回答と右損失結果との間の因果関係を肯認すべきである。

(四) (別件判決の確定について)

そこで次に、原告が別件判決に控訴しなかったことによっても、阿倍野労基署長の過失行為と、右棄却判決の確定との間に因果関係が認められるか否かについて検討する。

(1) 前記認定の事実によれば、原告は、別件訴訟の係属中、本件回答の内容について疑問を抱きながらも、それが正確であると信じて、判決が言い渡されるまでの間、その手許にある労災保険給付の振込通知を確認した以外には格別の調査を行わなかったこと、原告代理人から別件判決の内容について説明を受けた時点においてもなお、本件回答が誤りであることについて確信がなかったため、原告代理人に対し、控訴をするか否かについての明確な意思表示をしなかったこと、その結果、控除期限が徒過して別件判決が確定したことが認められる。

そうすると、原告が別件判決に対して控訴をしないまま控訴期限を徒過したため、別件判決が確定するに至ったのは、本件回答が正確であると信頼して、むしろ自己の記憶の方が誤りであると考えた結果であるということができる。

(2) そして、一般に、二三条照会に対する回答内容については、一応これを正確なものと信ずるのが通常であり、特に公務所がその所管事項について回答した場合には、当該訴訟の関係人としては、回答内容の真偽について別途調査・確認する手段を有していたとしても、回答内容が真実であると信頼して、特段の調査・確認を行わないことも無理からぬところであり、その結果、誤回答が看過されたまま判決が確定することも、通常人にとって予想することもできない希有な事例であるということはできず、結局、本件過失行為と別件判決の確定との間には相当因果関係があるというべきである。

三争点3の損害額について

1  (損害の有無)

そこで、原告の損害の有無について検討するに、これは、本件回答における過失行為との間で因果関係を有すべき損害としては、本件回答が正しくなされていたときに原告が別件訴訟手続によって得られたと考えられる金額と一応同額であるということができる。そして、労災保険給付による填補の客観的範囲については、別件訴訟手続においてもなお、最終的には、前記最高裁判例の立場によって算出される蓋然性が高いといえる。

そうすると、本件で右労災保険給付を控除すべき対象としての損害額は、冨太郎の過失相殺後の消極損害(休業損害、後遺症による逸失利益、死亡による逸失利益)の合計額のうちの、原告の法定相続分である七〇一万三四八〇円と算出される。

(算式)

(3,111,073+725,982+

27,393,291×1/2)×(1―0.2)×1/2

=7,013,480そして、障害補償年金差額一時金二三四万五五四〇円は、これと同額の消極損害を填補するものとして、原告の損害賠償請求権は右の限度で減縮させるべきであるから、原告の損害は三六四万三三六八円になる。

(算式)

5,988,908―2,345,540

=3,643,368

2  さらに、前記認定のとおり、別件被告らの不法行為の日は昭和六〇年四月五日であるから、結局、三六四万三三六八円及びこれに対する右不法行為の日の昭和六〇年四月五日から支払済まで年五分の割合による金員の支払が認容されるべき金額であったと認められる。

3  (過失相殺)

ところで、本件回答の誤りが判明した前記認定の経過によれば、原告が別件判決確定前に受給金額についての積極的な調査をしていれば、比較的容易に本件回答の誤りを発見できたはずであり、原告をして右のような調査を尽くすべきことの必要性を感得せしめるに足りる事情も十分に備わっていたということができる。

そうすると、原告としては、別件判決に控訴して、別件訴訟の手続において救済を求めることができたにもかかわらず、これを怠ったのであるから、この点における原告の過失は甚だ大きいものと言わざるを得ず、損害の公平な分担という損害賠償の理念に照らし、過失相殺の法理が適用されると解すべきであり、その割合については、本件に顕れた諸般の事情を総合考慮して、原告の過失割合を八割とするのが相当である。

そこで、前記2の損害額のうち八割を控除すると、七二万八六七三円になる。

4  (弁護士費用)

次に、弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起、遂行を原告訴訟代理人弁護士に依頼したことが認められるところ、本件事案の内容、認容額等に鑑み、被告に負担させるべき弁護士費用の額は、七万円をもって相当とする。

5  そうすると、原告が賠償を受けるべき損害額は、七九万八六七三円及び内金七二万八六七三円に対する昭和六〇年四月五日から支払済まで年五分の割合による金員の合計額になる。(但し、原告は、本訴請求の趣旨において、右遅延損害金の始期を同月六日からとしている。)

四結論

よって、原告の本訴請求は、被告に対し、七九万八六七三円及び内金七二万八六七三円に対する昭和六〇年四月六日から支払済まで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言についてはその必要がないものと認めこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官伊東正彦 裁判官倉田慎也 裁判官福井美枝)

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